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映画エレファントマン(2020)の日本公開日はいつ?モデルの実在の人物やあらすじも

19世紀のイギリスに、原因不明の病により身体に奇形を持った人物、ジョゼフ・ケアリー・メリックという青年がいました。その生涯を映画にした1980年公開の作品「エレファント・マン」が、公開40周年を記念して、全国の映画館で公開されることになりました。

40年前の公開時には、世界で社会現象を巻き起こすほどの話題作となったこの作品。それが21世紀の今また、デイヴィッド・リンチ監督自身の監修により、4Kの高画質でスクリーンに蘇るのです。

その特殊な風貌から困難に満ちた人生を送ることになった青年と、彼を支えようとした医師や周囲の人々との関わりを描いたこの作品を、子供の頃に観たという人も多いのではないでしょうか。その、あらすじや見どころ、そしてこの作品のモデルとなったジョゼフ・メリックの生涯についてもご紹介します。

アニー
アニー
アンソニー・ホプキンスというとレクター博士のイメージが強烈だったけど、こんな人間味のある役も演じてたのね。
クリス
クリス
最近の作品だとマイティ・ソーのオーディン役が有名だね。えっ、ていうかこの人もう82歳なのか!
アニー
アニー
ちなみに今回のキャスト紹介の写真は、作品の時代に合わせて、敢えてみんな約40年前のやつよ。探すの地味に時間かかっちゃったわ。

「エレファント・マン」の公開日

この作品は、2020年7月10日から日本全国の映画館で公開されます。日本では、新型コロナウイルスの影響による映画館の自粛も緩和が進んでいますが、特に首都圏ではまだまだ油断は禁物です!くれぐれも感染対策は十分にしてお出掛けください。

「エレファント・マン」のあらすじと見どころ

19世紀、ヴィクトリア朝時代のイギリス、ロンドン。ロンドン病院の医師、フレデリック・トリーヴスは、見世物小屋で人々の好奇の目に晒されている、ジョン・メリックという、顔と身体に顕著な奇形を有する人物を見つけます。

トリーヴスは、見世物小屋のオーナーであるバイツからジョンを引き取り、自らの勤める病院へ連れて行きます。しかし院長のカー・ゴムは、「治る見込みのない患者は受け入れない」という方針のもとに、メリックの入院に難色を示します。

ところが、知的に障害があるかと思われていたメリックは、不明瞭な話し方ではあるものの、旧約聖書の詩編の一節を暗唱することができたのでした。そして彼は自ら、字を読めることを医師たちに訴えました。実はメリックは顔の奇形により構音障害があるだけで、読書が好きな、芸術を愛する青年だったのです。

ゴム院長はメリックの滞在を許可し、メリックはそこからトリーヴス医師や、その友人であるケンドール夫人と交流を重ねながら、次第に心を開いていくのでした。

当時まだ33歳という若さのデヴィッド・リンチ監督が手掛けたこの作品は、アカデミー賞8部門とゴールデングローブ賞にノミネートされるなど、映画界で非常に高い評価を受けました。

特筆すべきは、メリック役のジョン・ハートの顔と身体に施された、当時の最高レベルの特殊メイクです。これを担当したのは、イギリスの特殊メイク・アーティストのクリストファー・タッカーでした。メリックの顔の15層から成るメイクを完成させるには、およそ7時間から8時間を要し、またそれを外すだけで2時間を費やしたといいます。

それらの特殊メイクの型は、実際に保存されていたジョゼフ・メリックの身体の標本から取られて形成されており、かなりリアルに再現されていたようです。毎回、完成までに長時間かかるこの特殊メイクにはジョン・ハートもさすがに堪えたようで、「彼らはついに僕に芝居を嫌いにさせることに成功したようだよ」と冗談を言ったという逸話があります。

ところが、これだけ手間をかけた特殊メイクでありながら、当時のアカデミー賞には特殊メイクに関する部門が設けられておらず、多くの映画ファンが「あの優れたメイクを施したアーティストを称えないのは間違っている」とアカデミー賞の運営側に抗議をしました。その結果、その翌年から「アカデミーメイクアップ&ヘアスタイリング賞」が設定されたのです。

特殊メイクの技術の高さに加え、メリックを演じたジョン・ハートの演技力にも当時の人々は圧倒されました。群衆の中で、人々の好奇の目と攻撃的な感情に晒されながら、声の限りに「僕は動物じゃない、人間だ!」と叫ぶメリックの姿は、人間の尊厳とは何かということを観客に痛切に問いかけます。

人を人たらしめるものは、何なのか。それはおそらく、容姿や声だけには留まらない、その人の魂の在り処によるのではないか。そんな、哲学的なテーマを投げかけるこの作品は、40年を経ても変わらず、人々の心を揺さぶり続けることでしょう。

「エレファント・マン」のキャスト

ジョン・メリック役(ジョン・ハート)

 

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イングランド、シャーブルック出身。22歳の時にイギリス映画「The Wild and the Willing」(1962)で俳優としてデビューし、その後主にイギリスの映画作品に多数出演。
「10番街の殺人(10 Rillington Place)」(1971)で英国アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、1978年の作品「ミッドナイト・エクスプレス」では英国アカデミー賞助演男優賞とゴールデングローブ賞を受賞しています。

そして本作「エレファント・マン」では、アカデミー賞主演男優賞を惜しくも逃すものの、英国アカデミー賞主演男優賞を受賞。分厚い特殊メイクに覆われ、口の中にも詰め物をした状態での熱演に、世界各国の批評家から高い評価を受けました。

ハートは2017年にすい臓がんのため、77歳でこの世を去っています。生前、ハートはジョン・メリックという役を演じたことについて、インタビューで次のように話しています。

「本当に、素晴らしい脚本だったね。エレファント・マンというのは、我々の誰もが誤解していることを具体化するものだったように思うよ。だからこそ、人々は彼に大きな同情を抱くのだろうね。」

(分厚いマスクをしての演技は困難だったか?普段の声と使い分けたのか?という質問に対して)

「そうだね、声というのは僕の最も得意とするものだったから。そして演技に表情が使えないから、鏡を使って、身体の動きや頭の傾きで思いを伝えるにはどうすべきか、少しずつ理解しようとしたよ。仮面を被って演技をするようなものだったからさ。」

引用:npr

デイヴィッド・リンチ監督は、ハートについて「世界で最も優れた俳優」と評していました。そして長年に渡り優れた声優としても活躍したハートの声は、「イギリスで最も特徴のある声」とも言われています。そんな彼がアカデミー賞を逃したことを彼のファンたちは非常に残念に思ったものでしたが、ハート自身は映画賞というものに関して、次のような持論を述べています。

「僕は、賞には興味がないんだよ。今までもそうだ。それらは重要なものではないと思ってる。誤解しないで欲しいんだが、誰かが賞をくれるというなら感謝して頂くよ。でもそれは、追い求めるべきものではない。それは僕たちの業界を間違った競争に導いてしまうからね。僕らはスポーツマンじゃないんだ。一等を獲ろうとしているわけじゃないんだよ。」

引用:AV Club

賞レースには興味がなく、ただ演技というものを愛したハート。エレファント・マンの後も、彼は死の前年まで俳優としての活動を続けました。その長年に渡る功績が認められ、2015年にエリザベス女王よりナイト爵が授与されています。

イギリスのみならず世界で愛された名優の、50年以上に渡るキャリアの中でも、最も優れたパフォーマンスのひとつが見られるのがこの「エレファント・マン」という作品だと言えるかも知れません。若き日のハートの渾身の演技は、きっと今の時代に初めてこの映画を観る人の心も打つことでしょう。

フレデリック・トリーヴス役(アンソニー・ホプキンス)

 

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ウェールズ、グラモーガン出身。23歳の時にウェールズで最も古い劇場、パレス・シアターで俳優としてのキャリアをスタートさせ、そこでイギリスの俳優であり映画監督であるローレンス・オリヴィエに見出されて、ロンドンの国立劇場へと招かれます。

ホプキンスはそこで、オリヴィエの控えの役者(役者が急病などの時に代わりに演じる代替要員)として採用されます。実際、オリヴィエが虫垂炎で休演した際、彼は代役を務めたというエピソードがあります。

しかし、毎日同じ台詞を言う舞台の仕事に飽きたホプキンスは、映画への出演を願うようになります。そして初めての映画出演となったのが、BBCの製作した「A Flea in Her Ear」(1967)。デビューは端役でしたが、その後出演した「The Lion in Winter」(1968)での演技が高く評価され、英国アカデミー賞助演男優賞にノミネートされました。

その後、多くのイギリス映画、ハリウッド映画やテレビドラマ、舞台に出演し、イギリスを代表する俳優として知られるようになったホプキンス。日本でもヒットした「羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」(1991)で演じた精神病質のハンニバル・レクター博士の役が高く評価され、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞しています。

最近では2020年公開の英米合作映画「The Father」にも出演するなど、現在も現役で活躍している彼が、43歳の時に演じたのが本作「エレファント・マン」でのトリーヴス医師でした。しかし、これだけの名作でありながら、ホプキンスは本作が完成した後に一度観ただけだったといいます。

実は、ホプキンスは自分の出た映画をあまり観ない、という傾向があるのです。その理由を、彼は次のように説明しています。

「私はプレミア上映には行くがね、その後観ることはないよ。私は自分の映画に特別な期待は持っていないんだ。良いものは良いし、そうでないなら、そうでないんだろう。10年前、私は自分の出た映画を映画館で観たことがあったんだ。どの作品だったか忘れたけど。(映画が完成した時に)みんな飛び上がって『これはすごい映画になる!』って興奮してたもんだからさ。

それで観に行ったんだけど、それは私が観た映画の中で一番退屈なものだったよ。その翌日出された評価はひどいもんだった。スタジオにいた人間の半分がクビになったぐらいだ。結局、どれだけ売り上げを出したかなんだよね、この業界は。それで私は自分の出た作品と距離を取るようになったのさ。」

引用:ShortList

そんなホプキンスですが、「エレファント・マン」を、どういう心境の変化によるものかは不明ですが最近になって再び観てみたそうです。彼はその感想も述べています。

「何年も観てなかったんだが、最近もう一度観てみたんだよ。その後、デイヴィッドにファンレターを書いたね。彼は天才だ。これは素晴らしい、傑作だと彼に伝えたよ。」

引用:ShortList

台本は「台詞が全て」というポリシーを持つホプキンス。どんな長台詞でも完璧に記憶し、リハーサルも殆どせずに多くの場合1テイクでOKとなるという、プロ中のプロとも言える名優をして、傑作と言わしめたこの作品。是非劇場で観てみたいものです。

マッジ・ケンドール役(アン・バンクロフト)

 

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ニューヨーク、マンハッタン出身。20歳の頃からテレビドラマに出演するようになり、映画デビューはマリリン・モンロー主演の「ノックは無用(Don’t Bother to Knock)」(1952)。舞台でも活躍し、1960年に「奇跡の人( The Miracle Worker)」でアニー・サリバン役を演じてトニー賞を受賞。1962年に同作が映画化されてもサリバン役を演じ、アカデミー賞主演女優賞を獲得しています。

その後も、「The Pumpkin Eater」(1964)や、ダスティン・ホフマンと共演して話題になった「卒業(The Graduate)」(1967)など多くの有名作品に出演。「卒業」ではゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞し、1970年に出演したドキュメンタリー番組「Annie: The Women in the Life of a Man」ではエミー賞を受賞。この時点で、バンクロフトはアカデミー賞、トニー賞、エミー賞の3冠を手にしたアメリカ映画界の24人に名を連ねることになりました。

本作「エレファント・マン」では、メリックと交流を重ねる女性、ケンドール夫人を演じています。マッジ・ケンドールは実在の人物で、当時のイギリスでは有名な女優でした。夫のウィリアム・ケンドールも俳優であり、夫婦で劇場支配人として活躍していたのです。

ケンドール夫人は、映画の中ではメリックと対面していますが、実際は直接会ったことはなく、しかしメリックの希望に応じて籠細工の講師をメリックの元へ派遣するなど、様々な支援をしていたようです。メリックは彼女の厚意に感謝を示し、籠細工の作品や紙細工などを作ってはプレゼントしていたというエピソードがあります。

映画の中では、ケンドール夫人はメリックに「劇場はこの世で一番美しいところよ」と語り掛け、彼を劇場に招待します(プロフィール写真のシーン)。実際にメリックとケンドール夫人が対面していたら、二人の間でこんな会話があったのだろうかと思わせる、優しいシーンです。

バンクロフトも、2005年に子宮がんにより73歳で他界しています。彼女もまた、50年以上に渡って映画界を牽引してきた偉大な女優でした。

「エレファント・マン」の監督

 

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本作「エレファント・マン」の監督は、デイヴィッド・リンチ。モンタナ州、ミズーリの出身です。

青年の頃、フィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーで美術を学んでいましたが、当時リンチが住んでいた地域は非常に治安の悪いところでした。銃撃事件、強盗は日常茶飯事で、彼がそこに購入した家に住み始めた3日後には、家に泥棒が入ったそうです。日々、危険と隣り合わせという状況でしたが、リンチはそこで暮らした日々の経験が、後の人生に影響を与えたと述懐しています。

リンチ作品はシュルレアリスティックで、不気味な作風の個性的な映画スタイルで知られ、暴力的な要素も多く含んでいます。そうした作風は、そのフィラデルフィアでの経験に由来している部分もあるのかも知れません。

リンチは美術学校在学中に短編映画を作っていましたが、卒業後にロサンゼルスへ移ると長編映画「イレイザー・ヘッド(Eraserhead)」(1977)を製作しました。不気味で難解な内容のこの映画は、のちにカルト映画の代表とも呼ばれ、発表当初は不評でしたが、その後徐々に人気を集めるようになりました。

リンチが手掛けた2作目の長編映画が、本作「エレファント・マン」です。彼がこの作品を、あえてモノクロ映画にしたのは、2つの理由がありました。第一に、白黒にすることで観客が当時の時代の雰囲気を味わえる効果があること、そして第二には、カラーだと嫌悪感を覚えそうな描写でも、白黒にすれば美しく見えるという考えだったそうです。

結果は狙い通りで、古びた機械から沸きあがる煙や、19世紀のイギリスの退廃的な雰囲気が、4Kの高画質の画面の中で、不気味でありながらも美しく鮮烈に表現されています。

リンチは、作品のモデルとなったジョゼフ・メリックという青年について「彼は本当に、奇妙で、素晴らしい、罪のない男だったんだ」と語り、またプロデューサーのジョナサン・サンガーも後年
「我々は、このキャラクターと深いつながりを感じました。普段、映画を作る時よりも、もっとね。この映画を作るのは、何か使命のようなものを感じました。」
と話しています。

エキセントリックなリンチ作品の中でも、この「エレファント・マン」はやや異色の、繊細でヒューマニズムに満ちたものだという評価がなされています。ちなみに、一時はダスティン・ホフマンがメリック役という案もあったそうです。そうなっていれば、また違ったメリックが見られたかも知れませんが、いずれにせよ、この作品がデヴィッド・リンチの優れた代表作のひとつであることは間違いありません。

「エレファント・マン」のモデルとなった人物

 

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この映画の主人公のモデルとなったのは、ジョゼフ・ケアリー・メリック(1862-1890)というイギリス人です。

イングランド、レスターで衣料品店を営む両親の元に生まれた彼は、出生時には特に身体的な異常は見られませんでした。しかし生後21か月頃から、彼の口の下の方には、硬い腫れ物が出現するようになったのです。やがて成長するにつれ、頭蓋骨の異常な膨隆や、右腕と両脚の肥大が見られるようになり、全身の奇形が進行していきました。また幼少時に転倒して腰を痛め、関節炎もあったことから、生涯にわたって歩行障害も残ったようです。

そうした障害を持ちつつも、メリックは12歳で公立学校を卒業しました。その後は行商などの仕事に就きましたが、その容貌と構音障害の影響で継続が困難となり、17歳で救貧院と呼ばれる障害者や孤児、寡婦、失業者などのための救済施設に入所しました。

しかし不衛生で人間的な扱いをされない救貧院の暮らしを苦痛に感じ、メリックは救貧院を退所できる方法を考えました。その結果、彼は奇形者の見世物興行を手がける旅回りの興行師に手紙でコンタクトし、自らを見せものとする道を選ぶのでした。

見世物興業がロンドンで行われていた時、ロンドン病院の外科医であったフレデリック・トリーヴスがメリックの存在を知り、自ら彼の診察を行いました。彼はメリックを症例として病理学会で発表し、彼に名刺を渡しておきました。

その後、見世物小屋を公序良俗に反するものとする風潮が強くなったことから、見世物興業の経営が悪化し、メリックの興行権はオーストリア人の興行師に売却されます。そしてしばらくヨーロッパ各地を巡演したのちに、メリックは興行師にベルギーで捨てられてしまうのです。彼は独力で船や列車を乗り継ぐなどしてロンドンに帰還し、取っておいた名刺を頼りに、トリーヴス医師に保護を求めました。

トリーヴス医師や、ロンドン病院理事長の尽力により、メリックはロンドン病院の地下室に居住を許されました。そしてそこで、トリーヴス医師や周囲のスタッフと交流しながら、彼は初めて人間らしい扱いを経験をするのでした。最初は警戒し、看護師に差し伸べられた手さえも恐れていたメリックでしたが、人々や環境に慣れるにつれ穏やかになっていったといいます。

トリーヴス医師が紹介した未亡人のレリア・マチュリン夫人と面会した時、彼は「生まれて初めて女性に微笑みかけられ、握手を求められた」ということに感激して、嗚咽を漏らしたという記録があります。メリックとマチュリン夫人との交流はその後も続き、彼が夫人に送った直筆の手紙は今も保存されています。

その後、上流社会の人々も彼に関心を持つようになり、本や蓄音機などをプレゼントされたり、観劇に行くといった経験もするようになったメリック。読書家であった彼は本の贈り物を喜び、また器用に籠細工や紙細工も作りながら、穏やかな日々を送っていました。

メリックが急死したのは、彼が27歳の時でした。部屋のベッドで仰向けになって死亡しているのを、担当の看護師が発見したのでした。解剖によれば、彼の死因は仰向けに寝たことによって頸椎が脱臼したか、あるいは窒息によるものと見られました(彼は普段は体育座りのような姿勢で寝ていました)。巨大な頭部の重さが原因だと考えられています。

メリックは生前、死後は自分の身体を医学の発展に役立てて欲しいという意思を示していました。その遺志に従い、彼の骨格標本や作った手工芸品は、現在もロンドン病院の博物館に展示されています。メリックの奇形の原因は19世紀当時は不明でしたが、現代の病理学的な見解では、遺伝性疾患のプロテウス症候群だったのではないかと見られています。

たった28年弱の短い生涯でしたが、記録を見る限りは彼の人生の終盤は、人間としての尊厳が守られ、読書や芸術を楽しむことができる日々であったことがわかります。

現代でも、病気や事故が原因で、容貌が一般的な人とは異なる人に向けられる目は、時に本人にとって非常に残酷なものになることがあります。心無い言葉や態度を受けた人々の心を理解するためには、その立場に立った経験のない人間は、持ち得る限りの想像力を働かせる必要があるでしょう。

映画「エレファント・マン」は、ただの不遇な人生を送った人物の物語ではなく、人間が常に持っておくべき他者への想像力を、強力に補完してくれる作品であると言えるのではないでしょうか。この作品のリバイバル上映を、ぜひ全ての世代の人々が観ることが願われます。

「エレファント・マン」の評判

この映画を子供の頃に観たことのある人も、大人になってからもう一度観てみようかと感じているようです。

まとめ

  • 「エレファント・マン」の4K復刻版は2020年7月10日から全国の映画館で上映予定
  • 1980年当時、新進気鋭の若手監督だったデイヴィッド・リンチの初期の作品
  • 今は亡き名優、ジョン・ハートの若き日の熱演に注目
  • 人間の尊厳とは何かを問う、哲学的なテーマが作品の中に込められている

この映画は悲劇ではありますが、人の持つ冷酷さ、残酷さを露わにする一方で、人のもつ思い遣りや温かさも静かに描き出しています。疫病の流行や社会情勢の不安の中で、荒みがちな現代の人々の心を、そっと癒してくれるような作品とも言えそうです。ぜひ映画館の大きなスクリーンで、この作品の雰囲気を十分に味わってみてはいかがでしょうか。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。